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浦和地方裁判所 昭和46年(ヨ)173号 判決

申請人 谷口英裕

被申請人 日本テキサス・インスツルメンツ株式会社

主文

本件仮処分申請を却下する。

申請費用は申請人の負担とする。

事実

第一、当事者双方の申立

一、申請人

「1 申請人が被申請人の従業員としての地位を有することを仮に定める。

2 被申請人は申請人に対し昭和四六年四月以降本案判決確定に至るまで毎月二五日限り一ケ月四万五三四〇円を仮に支払え。

3 申請費用は被申請人の負担とする。」

との判決を求める。

二、被申請人

主文と同旨の判決を求める。

第二、当事者双方の主張

一、申請人主張の申請の理由

1  被申請人はアメリカ合衆国テキサス州ダラス市に本社を有するテキサス・インスツルメンツ・インコーポレイテツドと日本法人であるソニー株式会社との間で、昭和四三年五月二四日に設立された、半導体構成製品、電気制御および保護製品等の製造、加工、販売等を目的とする、資本金一億円の日本法人たる株式会社であつて、肩書地に本店を置き、埼玉県鳩ケ谷市に工場を有し(以下鳩ケ谷工場という)、同工場において半導体製品および電気制御部品等を製造している。

2  鳩ケ谷工場は昭和四六年当時半導体製造部門五六〇名、制御部品製造部門七〇名の合計六三〇名の従業員(そのうち管理職は四一名)を擁し、半導体製造部門はダイオード係、バイポーラー係、エム・オー・エス(メタル・オキサイド・セミコンダクト)係に分れ、バイポーラー係にはボンデイング、モールド(プラスチツク加工)、フアイナル(仕上)の各係が含まれており、いずれも各種集積回路(I・C)の製造を行なつていたが、以上の各係はダイオード係を除き二直制(一直をフアースト、二直をセカンドと称していた)を採り、各係および各直にスーパー・ヴアイザー(課長)およびフオアマン(係長)が配置されていた。また規模により各直はA・Bのラインに分けられ、その場合はライン毎に課長が配置されていた。

3  申請人は昭和四四年五月一九日被申請人に雇用され、爾来鳩ケ谷工場において半導体製造部門内のバイポーラー、ボンデイング係セカンドAラインに所属し、集積回路のボンデイング作業に従事していたものである。

4  被申請人は昭和四六年三月一八日申請人に対し解雇予告手当として申請人の一月当りの平均賃金額を提供して解雇する旨の意思表示をした(以下本件解雇という)。ただし、右予告手当は申請人がその受領を拒否したため、被申請人はこれを供託した。

5  本件解雇は以下の理由によつて無効である。

(一) 不当労働行為

(1) 本件解雇に至る経緯

(イ) 被申請人はアメリカ資本の会社であり、労務管理は著しくアメリカ的であつて、就業時間は他の会社と比較して短かいが、その就業時間に多大かつ密度の濃い労働力を投入させながら、賃金は就業時間が短かいことを口実に低額に押え、実質上の賃金の一部である諸手当も極めて不充分であり、ボーナスも低額である。一方労働強化による労働力の早期消耗については若年労働者、殊に概して就労年数が短期である婦人労働者の雇用で対処し、その労働力の流動化を図るべく退職金制度も採用せず、右のごとき苛酷な条件下での労働を監督、支配するために外国人工場長の下に日本人職制を多数配置して些細な日常生活にまで介入させ、また労働組合の結成防止等のため労働者の動向を厳しく監督する著しく非近代的、植民地的な労務統制を行なつていた。

そのため被申請人会社には設立後、昭和四六年三月二〇日に総評全国金属労働組合埼玉地方本部日本テキサス・インスツルメンツ支部(以下全金組合という)が結成されるまで労働組合が存在せず、従業員は劣悪な労働条件に服することを強いられていたが、昭和四五年一〇月初めにそれまで分散的にあつた労働条件等についての学習会等が統合されて、申請人を含め二〇名の従業員を構成員とし、被申請人会社に労働組合を結成することを目的とするTIJ職場懇談会が発足し、後に結成された全金組合の委員長に選出された石川満が代表世話人に選出された。

(ロ) 右懇談会の構成員は毎週定期的に研究会を開催して労働運動の理論、労働運動史、被申請人会社の職場の実態等を研究する一方、各職場での従業員の不満、要望を汲み上げながら従業員に対し同懇談会への参加を呼びかけた。

また右構成員は組織化の前提として従業員間をより親密にし、自由に相談、意見交換ができる雰囲気を創ることを重視し、職場組織たとえばボンデイングセカンドAラインの従業員で構成される睦会、同Bラインの従業員で構成される親和会、ボンデイングフアーストAラインの従業員で構成される友愛会などにおいて日常活動を行ない、殊にそれらの者が中心となつて会誌(たとえばキユーポラ、親和、KAKEHASHI等)を発行しかつさかんに投稿して従業員の意思の結集に努めた。その甲斐あつて懇談会に参加する従業員の数は増え、一般の従業員の間も殊に職場を単位として急速に親密の度を増し、被申請人会社の課長、係長が就業時間中に主宰したミーテイングの席上等で劣悪な労働条件、労働強化に対する不満、被申請人への改善要望、労働組合の必要性等を公然と討論するようになつた。

(ハ) 当時被申請人会社では植村収二課長を筆頭に、従業員がより一層作業能率を上げれば冬季ボーナス支給分が増すとのふれこみで生産向上をさかんに扇り、これを信じた従業員が生産高を上げていつたところ、昭和四五年一一月六日に発表された同年度冬季ボーナスは従前と同じく二ケ月分であつたため、一般の従業員は被申請人の右欺し打ち的な「仕打ち」に憤激し、各職場で右問題についての話し合いがもたれ、職場責任者である課長に支給分の是正を要求する交渉が活発となつた。

(ニ) この機に及んで懇談会は同月七日以降幾度か集会を重ねた後、同月一四日浦和市所在の青少年会館において約一三〇名の従業員の参加を得て集会を開催したが、同集会において当面の活動につき討議された結果、被申請人に対し冬季ボーナス分の是正をはじめとする昇給その他労働条件の改善方を要求すること、そのために職場闘争を重視し組織作り要求作りを積み上げていくこと、要求実現のための方法として直ちにボンデイング作業につき怠業の典型としてのスローダウンを行なうことが決定され、直ちに右集会に欠席した従業員らにも伝えられて大方の賛成諒承が得られた。

(ホ) 鳩ケ谷工場のセカンドの各職場では毎日始業時から約一〇分間、課長より所属従業員に対する必要事項の指示、伝達、打合せのため、フアーストの朝礼に当る夕礼を実施していたが、昭和四五年一一月一六日行なわれた夕礼の際、かねての打合せのとおりセカンドの従業員から被申請人に対する質問、要求が相次ぎ、被申請人側の態度を不満とする従業員らの一斉就業拒否となり、次いでフアーストの従業員にも波及し、翌一七日配布された工場長名義のメツセージの内容がミーテイングの禁止ならびに運動参加者に対する賃金カツトおよび処分等の警告を唱つた高圧的なものであつたため、従業員のほとんどが同日からスローダウンに突入した。

(ヘ) 懇談会の構成員である従業員は予想以上の運動の盛り上りに即応し同月一七日に、前記一四日に開催された集会での確認点に立ち、職場を基礎に早急に被申請人に対するあらゆる要求を出し合いこれをまとめて被申請人につきつけること、その形式は各職場の実情に応じて要求書、要望書あるいは質問書でもよいが、要求項目にはボーナス支給分の是正、大巾昇給、フアーストの始業時間の是正、年末年始休暇の改善、家族手当、皆勤手当等諸手当の新設を織り込むこと、および、右要求が受け入れられるまで当面各職場の実情に応じた適当な度合によるスローダウンを徹底して行なうことを決定した。

(ト) 各職場から同年一二月初めに各職場の上司を通じて被申請人に提出された右要求項目に重点をおいた要求書に対し、被申請人は同月中旬に「〈1〉ボーナス分は今冬季分については変更しない。来夏季分は二・二ケ月とするが、年間を通じて合計四ケ月とすることにかわりはない。〈2〉今年末昇給は二八パーセントのアツプとする。ただし大巾な査定をその中に加味する。〈3〉退職金制度は来年八月までに新設する。」と回答しただけであつて、到底納得できるものではなかつた。そこで右回答を不満とする従業員は被申請人に抗議すると共に、各職場を基礎に次第にダウンの程度を緩和させながらもスローダウンを継続した。

(チ) 被申請人は右のごとき従業員の活動を拱手傍観していたわけでなく、要求に対する回答を無期限に引きのばすと共に警告書等を乱発し、年末昇給についても著しい査定をし、また個々の従業員を呼びつけて脅迫と恫喝を加えるなどして従業員の切り崩しに奔走した。一方昭和四六年二月以降従業員の間にも被申請人に対する要求を掲げたままスローダウンを中止し、早急に労働組合を結成し、結成後要求を実現させようとの意見をもつ者が一部にあつたことと、懇談会の指導が未熟であつたため、次第にスローダウンを行なう者は減つていつたが、懇談会の指導を受けた各職場での回答要求とその実現のためのスローダウン戦術はその後も撤回変更されずに継続され、その要求項目は全金組合に引き継がれていつた。

(リ) 申請人は、被申請人会社に労働組合が存在せず、従業員の労働条件が劣悪なままに放置されていた状態を改善すべく、昭和四五年一二月六日産業別組織で個人加盟の総評全国金属労働組合に加盟し、その前後を通じて被申請人会社に労働組合を結成することを主唱し、殊に翌昭和四六年三月六日結成された労働組合準備委員会の世話人、代議員となつて、組合結成の有力な推進者として尽力し、同月二〇日従業員中二七四名の参加を得て全金組合の結成大会が開催されるに至つた。

(ヌ) また、前記のスローダウンについては、前記のとおり各職場でのスローダウンの程度は各職場の実情と従業員の力量に応じて各従業員の判断に委ねられていたのであるが、申請人は懇談会の指導を遵守して当初から終始一貫して徹底的なスローダウンを行ない、その結果申請人の作業量は大巾な低下を来したが、右作業量の低下は前記のような要求実現のための正当な争議行為に基づくものであつた。

(2) しかるに被申請人は申請人らの右組合結成のための活動を嫌悪して種々の妨害行為をし、遂に全金組合結成大会の前前日である昭和四六年三月一八日に妨害行為の一貫として本件解雇を行なつたものであり、また被申請人は申請人がなした正当な争議行為としてのスローダウンに基づく作業量低下を理由に本件解雇をなしたものであるから、本件解雇は不当労働行為に該当し無効である。

(二) 就業規則適用の誤り

被申請人は本件解雇の理由として申請人が業務命命を無視して作業量の低下をきたした点を採り上げ、同行為は懲戒解雇事由について規定した被申請人の就業規則第四七条第三号の「業務上の指示、命令に従わず会社の秩序を乱し、その情の重いとき」に該当する行為であると主張するが、被申請人が業務命令であると主張する植村収二課長および杉原幸雄課長が申請人に対し作業量を増加させるよう申し渡した行為は一般的な作業成績上の注意あるいは助言にすぎず、申請人に具体的な義務を負担させる業務命令と解することはできない。また、譴責、減給、出勤停止、昇給停止、降格の懲戒処分について規定した就業規則第四六条においては第五号に「職務に怠慢であり、又素行が不良のとき」、第六号に「業務上の指示、命令に従わず会社の秩序をみだし、その情の軽いとき」と規定され、職務怠慢と業務上の指示命令違反とが別個に規定されていることからいつて、被申請人の就業規則は作業成績が劣悪であることをもつて業務命令違反として問擬することを予想していないことが明らかであるから、作業量の低下をもつて直ちに業務命令違反ということはできないし、その他作業量の低下をもつて懲戒解雇事由とする就業規則の規定はないから、申請人に対する本件解雇は就業規則の解釈適用を誤つたもので無効である。

(三) 解雇権の濫用

仮に以上の主張がいずれも理由がないとしても、被申請人は申請人に対し事前に明確な注意、訓告等を与えず、突如本件解雇をなしたものであり、また被申請人会社においては従前作業量低下を理由に解雇された事例はなく、本件解雇後も昭和四六年六月全金組合の執行委員であつた佐藤征男が勤務成績不良を理由に出勤停止三日の懲戒処分に付されたことがあるにすぎないのであるから、本件解雇は解雇権を濫用して不当に重い処分をしたものであり、無効な解雇である。

6  以上のとおり本件解雇は無効であり、申請人は依然として被申請人の従業員としての地位を有するから、被申請人は申請人に対し賃金を支払う義務がある。

しかるに被申請人は、本件解雇がなされた当時申請人に対し毎月二五日限り前月の一六日から当月の一五日までの計算で一月当り四万五三四〇円の賃金を支払つていたにもかかわらず、本件解雇後は申請人を従業員として取扱わず、昭和四六年四月分以降の賃金を支払わない。

7  保全の必要性

申請人は被申請人に対し雇用契約上の地位確認ならびに賃金支払を請求する本訴を提起すべく準備中であるが、申請人は前記賃金のみによつて生活を維持していたのであつて、他に何らの収入もないから、本案判決の確定を待つていてはその生活上著しい支障を被むり回復しがたい損害を受けることが明らかである。

8  よつて、申請人は従業員たる地位の保全および昭和四六年四月分以降の賃金の仮払を求めるため、本件申請に及んだ。

二、申請の理由に対する被申請人の認否ならびに反論

1  認否

(一) 申請の理由1ないし4の各事実は認める。

(二) 同5(一)(1)(イ)の事実中、被申請人会社の就業時間が他の会社と比較して短かいこと、被申請人会社には昭和四五年まで退職金制度がなかつたこと、被申請人会社の工場長が外国人であつたこと、被申請人会社には昭和四六年三月二〇日に全金組合が結成されるまで労働組合が存在しなかつたことは認めるが、昭和四五年一〇月初めそれまで分散的にあつた労働条件等についての学習会等が統合されて、申請人を含め二〇名の従業員を構成員とし、被申請人会社に労働組合を結成することを目的とするTIJ職場懇談会が発足し、後に結成された全金組合の委員長に選任された石川満が代表世話人に選出されたとの事実は不知、その余の事実は否認する。

(三) 同5(一)(1)(ロ)の事実中、被申請人会社にはボンデイングセカンドAラインの従業員で構成される睦会、同Bラインの従業員で構成される親和会、ボンデイングフアーストAラインの従業員で構成される友愛会が存在し、それらの会は会誌(たとえばキユーポラ、親和、KAKEHASHI等)を発行していたことは認めるが、被申請人会社の課長、係長が就業時間中主宰したミーテイングの席上等で作業員が劣悪な労働条件、労働強化に対する不満、被申請人への改善要望、組合の必要性等を公然と討論するようになつたとの事実は否認する、その余の事実は不知。

(四) 同5(一)(1)(ハ)の事実中、被申請人会社が昭和四五年一一月六日同年度冬季ボーナスは二ケ月分である旨発表したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(五) 同5(一)(1)(ニ)の事実は不知。

(六) 同5(一)(1)(ホ)の事実中、鳩ケ谷工場のセカンドの各職場では毎日始業時から約一〇分間課長より所属従業員に対する必要事項の指示、伝達、打合せのためフアーストの朝礼に当る夕礼を実施していたところ、昭和四六年一一月一六日の夕礼の際セカンドの従業員から被申請人に対する質問、要求が相次ぎ、被申請人側の態度を不満とする従業員らが当日の就業を拒否したこと、同月一七日工場長名義のメツセージが配布されたこと、同日以降多数の従業員の作業量がダウンしたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(七) 同5(一)(1)(ヘ)の事実は不知。

(八) 同5(一)(1)(ト)の事実中、各職場から昭和四五年一二月初めに各職場の上司を通じて被申請人に対し申請人主張の如き記載がなされた要求書が提出されたこと、被申請人が従業員らの要求に対し回答をしたこと(ただし回答の内容の点を除く)は認めるが、その余の事実は否認する。

(九) 同5(一)(1)(チ)の事実中、昭和四六年二月以降従業員の間に被申請人に対する要求を掲げたままスローダウンを中止し、早急に労働組合を結成し、結成後要求を実現させようとする意見をもつ者が一部にあつたとの事実は不知、その余の事実は否認する。

(一〇) 同5(一)(1)(リ)の事実中、被申請人会社に労働組合が存在しなかつたこと、昭和四六年三月二〇日全金組合が結成されたことは認める(ただし右組合結成は同月二二日付の通知により被申請人会社は初めてこれを知つたものである)が、被申請人会社の従業員の労働条件が劣悪であつたことは否認する、その余の事実は不知。

(一一) 同5(一)(1)(ヌ)の事実中、申請人の作業量が大巾に低下したことは認めるが、その余の事実は争う。

(一二) 同5(一)(2)、同5(二)、同5(三)の各主張は争う。

(一三) 同6の事実中、被申請人は本件解雇がなされた当時申請人に対し毎月二五日限り前月の一六日から当月の一五日までの計算で一月当り四万五三四〇円の賃金を支払つていたが、本件解雇後は申請人を従業員として取扱わず昭和四六年四月以降の賃金を支払つていないことは認めるが、その余の事実は否認する。

(一四) 同7の事実は否認する。

申請人は本件解雇後アルバイトに精励して他に収入を得ているので保全の必要性はない。

2  反論

(一) 本件解雇理由

(1) 申請人の作業量(一時間当りの集積回路のボンデイング完成個数により測定する)は昭和四五年一一月以降急激に低下しはじめ、それ以前は申請人が所属していたボンデイングセカンドAラインの従業員五〇名の平均的作業量を消化していたのに、翌一二月から昭和四六年三月に至るまで毎月の月間作業量は右従業員の月間平均的作業量の三割ないし六割にすぎず、同従業員中最低の作業量であつた。

(2) 昭和四六年三月二日行なわれた夕礼の際、職場の責任者である杉原幸雄課長がボンデイングセカンドAライン所属の従業員に対し全員の協力による生産の促進の必要性を説いている最中に、申請人が突然立ち上り「製品が少し位売れなくても会社はつぶれるものではなく、もしつぶれるなら皆でこんな会社はつぶしてしまえ。」などと大声で発言し、同課長の制止や就業命令を無視するなどして夕礼を混乱させ、約二〇分間作業に従事せず、また同月一一日の夕礼の際に同課長が従業員に対し賃金、賞与、諸手当についての連絡事項を伝達していたところ、申請人が突然立ち上り「会社に欺されるな。皆団結して生産をダウンさせよう。」などと大声で発言し同課長の制止を無視して夕礼を混乱させ、就業命令に反して三〇分以上作業に従事しなかつた。

(3) さらに右のほかにも申請人の勤務態度は、遅刻(昭和四六年一月二一日、同年二月八日等)、居眠り(同年三月四日等)、雑談(同月一〇日等)、無断離席、夕礼の混乱惹起(昭和四五年一二月八日、昭和四六年三月三日等)が多く、なお悪化するばかりであつた。

(4) 右のごとき申請人の著しい作業量の低下、就業命令無視、勤務態度の悪化につき、昭和四六年二月末日までボンデイングセカンドAラインの課長であつた植村収二は昭和四五年一二月二二日および同月二三日の二回にわたつて、昭和四六年二月一五日から本件解雇時まで同Aラインの課長であつた杉原幸雄は昭和四六年二月二五日、同年三月三日、同月一五日の三回にわたつてそれぞれ申請人に対し右作業量低下の原因を問い、態度を改め正常に勤務して作業量をもとの平均的作業量にまで回復させるよう業務上の命令を与え、勤務態度についても具体的事実を挙示して厳重に注意を与えたのであるが(なお同様の目的で植村課長は昭和四五年一二月一五日ないし同月一七日の三日間にわたり三度申請人に事務所に出頭するよう指示したにもかかわらず、申請人は指示に応ぜず出頭しなかつた。)、申請人はその都度「ゴタクばかりならべて給料が少ない。」「こんな会社はつぶれた方がましだ。」「要求をきかなければ作業量は上げられない。」などと反抗的言辞を弄し、あるいは横を向いて右注意を一切黙殺するなどして、およそ右注意を受けた点につきいささかも反省の色を示すことがなく、右業務命令についてもこれに反して作業量を旧に復せず、依然として作為的に怠業を継続し、勤務態度も改めなかつた。

(5) 被申請人会社の就業規則(昭和四三年一一月一日施行)第四七条は懲戒解雇事由につき規定しているが、同条第三号には「業務上の指示、命令に従わず、会社の秩序を乱し、その情の重いとき」、第九号には「故意に会社の業務を妨害したとき」が規定されているところ、以上に述べた申請人の夕礼を混乱させた上就業命令に従わなかつた行為および業務命令を無視して怠業を継続した行為はいずれも右第三号に、また夕礼を混乱させた行為と怠業を継続した行為とは右第九号にそれぞれ該当する行為である。

(6) しかしながら、被申請人は申請人の利益を考慮して敢えて懲戒解雇の処置を採らず、右就業規則第三二条には「社員が次の各号の一に該当するときは解雇する。この場合は労働基準法の定めるところによる。〈1〉精神もしくは身体の障害により勤務に堪えないと認めたとき。〈2〉やむを得ない事業上の都合によるとき。〈3〉その他前各号に準ずるやむを得ない事由のあるとき。」と規定されているところ、申請人の作業量は継続的に低迷し、しかも前記のごとき勤務態度等から向上の見込がなかつたといわなければならず、しからば右第三号所定の解雇事由に該当することから、被申請人は昭和四六年三月一八日右就業規則第三二条第三号に基づき本件解雇をなしたのである。

(7) したがつて、本件解雇は適法であり、申請人は被申請人の従業員たる地位を喪失したものであるから、本件仮処分申請は理由がない。

(二) 不当労働行為について

(1) 憲法第二八条によつて保障され、労働組合法第七条によつて保護される労働者の団体行動権ないし争議権は、労働者が使用者と実質上対等の立場に立つて労働条件の維持改善を図るために団体を組織し、かかる団体として使用者と交渉する団体交渉を有利に運ぶために保護されたもので、いいかえれば、第一次的には円滑かつ有利な団交の実現を目的とし、究極的には右団交を通じて労働者の地位の向上を目指すものでなければならない。そのためには争議権行使の際に使用者が折衝することが可能な組織的労働者団体が存在し、かつその存在を使用者に認識させることが不可欠であり、また争議行為の存在を使用者に認識させるために争議通告あるいはそれに準ずる行為も必要なのであつて、かかる状況が存しないにもかかわらず争議類似の行為を行なつても、円滑かつ有利な団交の実現は到底不可能であり、ひいては労働者の地位の向上に結びつく可能性がないわけであるから、当該行為をもつて争議行為ということはできない。

さらに労働者が争議行為をなすに至つた場合は、会社側は当該争議行為による被害を回避するため争議参加者に対し団体交渉を求め、その意向を質した上で然るべき提案をし、あるいはロツクアウト等の対抗手段を講じ賃金カツトを行なう必要があるところ、会社側が争議参加者も組織的労働者団体の機関も認識できない状況で争議行為がなされた場合には会社側は右のごとき対抗措置等を講ずる途を封じられるのであるから、かかる争議行為をもつて正当な争議行為であるということはできない。

(2) ところで、申請人は昭和四五年一一月一七日以降一部の従業員が行なつた怠業類似の行為をもつて被申請人が受忍すべき正当な争議行為であると主張する。

しかしながら、申請人が主張する右怠業類似の争議行為がなされた前後の経緯のうち、懇談会の構成員が中心となつて睦会、親和会、友愛会等において会誌を発行するなどして労働組合結成のための準備活動をしたとの点については、右各会はいずれも昭和四五年八月ころ各職場毎に被申請人の援助の下に結成された職場別親睦団体にすぎず、課長、係長も構成員となり、会誌も被申請人が費用を負担して発行されたものであつて、その内容も労働組合の組織化を念頭においた文筆活動であるとは到底考えられない娯楽ないし文芸的な投稿がほとんど全部を占めていたのであり、右各会において懇談会の構成員が申請人主張のごとき活動をしたことはなく、また同年一一月一六日の夕礼の際になされたセカンドの各従業員による質問、要求の点についても「賞与の支給率をもつと高くできないか。」、「福利厚生制度を充実させよ。」、「会社と従業員間のコミユニケーツヨンをもつとよくして欲しい。」等々約二〇名の従業員から特段の順序やまとまりもなく雑然となされたのであり、工場長や部長の説明を求めて終業時間まで夕礼が行われたため食堂に滞留しただけであつて、翌一七日に各従業員に配布された工場長名義のメツセージも申請人主張のごとく高圧的な内容ではなく、さらに同年一二月初めに各職場から上司を通じて被申請人に提出された要求書の点についても、被申請人が各職場の従業員に対し書面による質問あるいは意見等の提出を督促した結果、ほとんどの職場から職場毎に質疑要望書の形でまとめられた文書が提出されただけであるから、以上いずれの点についてみてもそれらの行為は組織的労働者団体あるいは懇談会の構成員により自主的に遂行されたものとはいえず、したがつて右の時期には組織的労働者団体といいうる程の団体は存在しなかつたと推測される。

また怠業類似の行為についても、同年一一月一七日以後アロイおよびボンデイングのセカンドシフトの作業量は平常の四分の一ないし三分の一に低下したが、アロイフアーストでは作業量低下を示した従業員は極めて少なく、ボンデイングフアーストの場合は、ボンデイングの原材料(「バー」と呼ばれていた)のほとんどがアロイセカンドから支給される関係上、アロイセカンドの作業量低下の影響を直接被つた結果、平常の二分の一程度の作業量低下を余儀なくされたものであつて、さらにアロイフアーストは同年一二月初めに、アロイおよびボンデイングの各セカンドは同月の最終週間にいずれもほとんど従前の作業量に回復したのであつて、その後作業量低下が継続したのは申請人だけであつたから、申請人が行なつた怠業類似の行為は争議行為に該当しないと推測される。

(3) さらに昭和四五年一一月一七日以降本件解雇がなされるまでの間に、仮に被申請人会社に組織的労働者団体が存在し、同団体の決議に従つてスローダウンが行われたとしても、被申請人は何人からも前記のごとき組織的労働者団体の存在、すなわち労働条件の向上を目的とする団体の結成、団体の名称、代表者等の機関について何らの通知にも接せず、団交要求もなく、右怠業類似行為が組織的労働者団体によつて決定された争議行為である旨の表明も全くなされていないのであり、かえつて被申請人が作業量の低下した従業員に対しその理由を質したところ、「やる気がない。」、「気分がのらない。」、「体の調子が悪い。」との答えがなされただけであつて、申請人が右怠業類似の行為をもつて争議行為と称していることを被申請人が知つたのは本件仮処分申請後一年余を経過してからである。

(4) しからば従業員の怠業類似の行為をもつて正当な争議行為であるということはできず、まして申請人の怠業類似行為を正当な争議行為であるということはできないから、申請人の昭和四五年一一月一七日以降の作業量低下を本件解雇の理由に含めることは何ら違法ではない。

(5) なお申請人は本件解雇が労働組合結成の妨害行為としてなされた不当労働行為であると主張するが、申請人は全金組合結成の過程において何らの役職の候補にも上らず、全金組合結成後執行委員にも就任していないことから、申請人が組合結成の有力な推進者であつたとの申請人の主張は事実と相違し、また被申請人は本件訴訟に至るまで申請人が産業別組織で個人加盟の総評全国金属労働組合に加盟していたことを知らず、さらに被申請人は本件解雇当時全金組合結成のための準備活動についても全く与り知らなかつたものであり、全金組合の結成にしても同組合から昭和四六年三月二二日に組合結成通知を受けて初めて知つたのであるから、申請人の右主張は理由がない。

第三、疎明〈省略〉

理由

一、申請の理由1ないし4の各事実(被申請人会社の概要、申請人の入社、業務内容、本件解雇等に関する事実)は当事者間に争いがない。

そこで、本件解雇の効力について判断する。

二、本件解雇に至るまでの労使間の経緯

被申請人会社には昭和四六年三月二〇日に全金組合(総評全国金属労働組合埼玉地方本部日本テキサス・インスツルメンツ支部)が結成されるまで労働組合が存在しなかつたことは当事者間に争いがなく、いずれも当事者間に成立に争いのない疎甲第四一ないし第四九号証、第五一、第五二号証、疎乙第五号証、いずれも証人笹木清一郎の証言によつて真正に成立したと認められる疎甲第一六号証の一、二、第二六ないし第二八号証、いずれも証人野本直樹の証言によつて真正に成立したと認められる疎乙第六号証、第八号証の一、二、第七六、第七七号証、いずれも証人植村収二および同杉原幸雄の各証言によつて真正に成立したと認められる疎乙第七一号証の一、二および第七二号証の一、二、いずれも弁論の全趣旨によつて真正に成立したと認められる疎甲第一二、第一五号証ならびに証人笹木清一郎、同野本直樹、同植村収二、同杉原幸雄の各証言および申請人本人尋問の結果によれば、被申請人会社の従業員間では昭和四四年三月ころ労働組合結成を目的とする佐々木広司らを中心とした五、六名を構成員とするグループが生まれ、そのグループが若干の同調者を加えて昭和四五年一〇月懇談会(TIJ職場懇談会)を結成して、後記全金組合結成大会において委員長に選出された石川満を代表世話人とし、週一回の勉強会や教宣活動を行なつたこと、被申請人会社は同年一一月上旬同年度冬季ボーナスを二ケ月分と発表した(この点は当事者間に争いがない)が、これより先当時ボンデイングセカンドAラインの課長であつた植村収二が従業員に対し冬季ボーナスは二ケ月分を上回るとの期待をもたせるような発言をしていたため、右発表に不満をもつ従業員らは同月一六日行なわれた夕礼の際に懇談会の構成員が中心となつて冬季ボーナスを二ケ月分と決定した理由の追及や増額要求を行なつたこと(当時被申請人会社の鳩ケ谷工場のセカンド(第二直)の各職場では毎日始業時から約一〇分間課長より所属従業員に対する必要事項の指示、伝達、打合せのためフアースト(第一直)の朝礼に当る夕礼を実施していたこと、同月一六日の夕礼の際セカンドの従業員から被申請人に対する質問要求が相次いでなされたことはいずれも当事者間に争いがない)、右夕礼は社員食堂にボンデイングセカンドのA、Bラインをライン毎にまとめて二つのグループを作つてそれぞれのラインにおける課長が主宰したのであるが、両ラインとも課長の説明に満足しない従業員らは夕礼終了時刻である午後四時一〇分になつても食堂を去らず、さらにモールドセカンドラインの従業員とも合流し、セカンドの従業員のほぼ全員に近い約二〇〇名の従業員が一つのグループとなつて食堂で工場長や部長の説明を求めたため、野本直樹人事部長や当時の峯岸製造部長が説明に来たが、従業員らは冬季ボーナスの増額に加えてその他の労働条件の改善を、思いついた者が各個に発言するといつた状況で、終始混乱して被申請人側も結論を出せず、遂に被申請人側の部課長は全員その場を去つたのであるが、部課長が去つてからは前記石川満が中心となつて食堂に集まつた従業員の意見を調整して、翌一七日から右従業員らのボーナス増額要求につき被申請人がこれに応えた回答を出すまで作業量をダウンさせるスローダウンを行ない、かつ今後各職場単位で懇談会を結成することに意見を統一し、当日は全員が終業時間まで作業に従事しなかつたこと(従業員全員が当日の就労を拒否したことは当事者間に争いがない)、翌一七日工場長名義のメツセージが配布された(この点は当事者間に争いがない)が、前日従業員らが要求した冬季ボーナスの増額および労働条件の改善要求に応じた内容ではなかつたところから、従業員の大部分は被申請人に通告することなく一斉に作業量をダウンさせるスローダウンを開始したが、ダウンの程度は五ないし一〇パーセントが一応の目標とされていたけれども、最終的には各従業員の判断に任せられていたため、五パーセント弱の者から五〇パーセントを越える者までまちまちであつたこと、同月一七日以後同年一二月にかけて労働組合結成および労働条件の改善を目的とする約三〇名を構成員とする職場別の六つの懇談会が結成されたこと、同年一二月四日には工場長名義で被申請人会社は、同年末の定期昇給率を二八パーセントとし、同年末の冬季ボーナスの増額はせず、昭和四六年夏季ボーナスを一〇パーセント増額し、住宅貸付金、緊急貸付金、私傷病給付の各制度を設けることを最終決定した旨掲示したこと、従業員らが行なつたスローダウンは開始後二週間経過したころから徐々に緩和する従業員が増加し、右被申請人側の最終決定の掲示がなされてからは、スローダウンの効果が弱いところから先ず組合結成を急ぐべきであるとの意見が多数を占めたこともあつて、昭和四六年一、二月には申請人ら一部の従業員を除くほとんどの従業員がほぼ従前の作業量にまで回復したこと、被申請人側は昭和四五年一一月一七日以降従業員の作業量が全体的に低下したため、その原因を知るべく野本人事部長らが作業量が低下した従業員に対し個人面接してその原因を問い質したところ、いずれも「やる気が出ない。」、「体の調子が悪い。」などと個人的な理由を述べるだけであつて、スローダウンを実行していることあるいは作為的に作業量を低下させていることを答えた者は皆無であつたこと、被申請人は同年一二月初め従業員に対し労働条件等について要望があれば職場単位で上司を通じて要望書を提出するよう指示し、各職場はほとんどが同月中旬までにボーナス支給分の是正、大巾昇給、フアーストの始業時間是正、年末年始休暇の改善、家族手当、皆勤手当等諸手当の新設等の要求項目に重点を置いた要求書を提出したこと(右のごとき内容の要求書が提出されたことは当事者間に争いがない)、右の職場単位の懇談会の構成員は、昭和四六年二月ころ同じく職場単位で労働組合結成準備委員会を結成し、各委員会において各職場から被申請人に提出された右要求書の取りまとめ、組合規約の検討、執行委員と代議員の人選等を行ない、同年三月六日王子労政事務所において約二〇〇名の従業員を集めて全社的規模でTIJ労働組合準備会結成のための集会を行ない、同集会において労働組合準備委員会を結成すると共に、総評全国金属労働組合に加盟することを決定し、中心統一要求として「〈1〉賃金について(大巾賃上げ、夏季一時金一律五ケ月以上、退職金制度の設置)、〈2〉時間短縮、雇用の拡大(時間外割増金の引上げ、一切の差別雇用制度反対、休暇の増加)、〈3〉組合活動の自由と権利の拡大」を決定し、労働組合の規約ならびに執行委員および代議員の人選を確認したこと、同月二〇日総評全国金属労働組合TIJ支部結成大会が開催されて全金組合が結成されたことの各事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

三、本件解雇に至るまでの申請人と被申請人間の経緯

前記疎乙第八号証の一、二、第七一号証の一、二、第七二号証の一、二ならびに当事者間に成立に争いのない疎乙第一〇号証の一ないし一一、証人野本直樹の証言によつて真正に成立したと認められる疎乙第四三号証の一、いずれも証人植村収二の証言によつて真正に成立したと認められる疎乙第九号証の一ないし二四、第一五、第四四、第四五、第七四号証、証人杉原幸雄の証言によつて真正に成立したと認められる疎乙第一四号証、証人野本直樹および同植村収二の各証言によつて真正に成立したと認められる疎乙第六九号証、証人笹木清一郎および同植村収二の各証言によつて真正に成立したと認められる疎乙第七号証、いずれも弁論の全趣旨によつて真正に成立したと認められる疎甲第三号証、疎乙第一一、第四七号証および証人野本直樹、同植村収二、同杉原幸雄の各証言ならびに申請人本人尋問の結果(申請人本人尋問の結果については後記措信しない部分を除く)によれば、申請人は被申請人から昭和四四年一二月に懲戒解雇された高橋達雄と被申請人間の訴訟を支援していた際、同じく支援に来ていた総評全国金属労働組合の組合員である松本博らと知り合つてから労働問題に興味を持つようになり、前記認定の昭和四五年一一月一六日の夕礼およびそれに引続く集会においても従業員の大勢に同調して翌一七日からスローダウンを行ない、同年一二月六日には産業別組織で個人加盟の総評全国金属労働組合に加盟し、そのころから被申請人会社に労働組合を結成する必要性を認め、前記職場別懇談会のうち申請人が所属するボンデイングセカンドAラインの懇談会に加入して勉強会や教宣活動を行ない、昭和四六年二月には前記職場別の労働組合結成準備委員会に加入し、同年三月六日に開催された前記TIJ労働組合準備会結成のための集会に参加し、従業員の大勢に従つたこと、申請人が行なつたスローダウンの程度に関しては、申請人が所属するボンデイングセカンドAラインには昭和四五年六月以降昭和四六年三月一五日まで四九名ないし五六名の従業員がボンデイング作業に従事しており(配転の関係で月により人員に若干の増減がある)、被申請人は従業員が初めてボンデイング作業に従事してから八週間経過後に到達可能な作業量(標準作業量と称していた)を、昭和四五年度は一人一時間当り四五個(以下作業量の表示はすべて一人一時間当りの値であるので「一人一時間当り」を省略し単に個数のみを表示する)、昭和四六年度は四七個としていたところ、ボンデイングセカンドAラインの従業員全体の平均的作業量は昭和四五年六月以降同年一〇月までは平均約六〇個、同年一一月以降昭和四六年三月一五日までは平均約四六個であり、昭和四五年一一月以降の右期間を各月毎にみれば、同月は約四〇個、同年一二月は約三四個、昭和四六年一月は約五〇個、同年二月は五二個、同年三月は約五三個であつたところ、申請人の右期間内の平均的作業量は、昭和四五年六月以降同年一〇月までは、従業員の平均的作業量を超えた月は僅か一月だけではあつたものの、平均約五六個と従業員の平均的作業量に近い成績であつたのに、同年一一月以降昭和四六年三月一五日までは平均約二九個と従業員の平均的作業量の七割にも達せず、昭和四五年一一月以降を各月毎に比較してみても、申請人は同月は約二九個、同年一二月は約一一個、昭和四六年一月は約四四個、同年二月は約三一個、同年三月は約三〇個といずれも従業員の平均的作業量を下廻り(以上の従業員全体および申請人の作業量は疎乙第八号証の一、二、第七一号証の二、第七二号証の二記載の各自の作業量から計算される)、また申請人の作業量が右従業員中に占める順位も、昭和四五年六月以降同年一〇月までは平均して上位から三分の二以内の成績であつたのに、同年一一月以降は同月および昭和四六年一月は最下位から三番目で、その余の月はいずれも最下位であつたこと、さらに被申請人会社では製品の品質管理上、一週間の作業によつて作られた製品の中から最低一セツト(九六個)の抜き取り検査を行なうだけで足り不良品の生産率が常時三パーセント以内の従業員をWCB(WEEKLY CERTIFIED BONDER)、一日の作業によつて作られた製品の中から最低一セツトの抜き取り検査を行なうだけで足り不良品の生産率が常時五パーセント以内の従業員をDCB(DAILY CERTIFIED BONDER)、品質が保障できず一日の作業によつて作られた全製品につき検査を要する従業員をNCB(NON CERTIFIED BONDER)として、従業員のランク付をし、一週間単位の作業成績によりランクの上昇下降の評価を行なう方式を採つていたのであるが、申請人は昭和四五年六月以降同年一〇月までは同年九月の第一週にWCBになつただけで、その他の週はNCB一一回、DCB九回であり、同年一一月以降昭和四六年三月八日までは同年二月の第一ないし第三週にWCBになつたものの、その直後NCB、DCB、NCBと安定せず、結局DCB六回、WCB三回、NCB三回と以上の全期間を通じて最低のグループに属していたこと、また申請人の勤務態度についても、申請人は昭和四五年一一月以降本件解雇に至るまでの間にしばしば遅刻、作業中の居眠り、雑談、無断離席を繰り返し、注意されても反省せず例えば昭和四六年三月四日作業中に課長から居眠りで注意されたところ、「眠いから目を閉じているのがなぜ悪いのですか。」と反問するような有様であつたこと(右認定に反する証人笹木清一郎の証言および申請人本人尋問の結果は証人野本直樹、同植村収二、同杉原幸雄の各証言に照して措信できない)、被申請人は申請人の右のごとき作業量の低下や勤務態度等に対処するために、被申請人会社では過去六ケ月間の当該従業員の作業成績をもとにして指導あるいは指示を与えるため課長が従業員と面接するアニユアル・レビユーを行なつていたところから、当時申請人が所属するボンデイングセカンドAラインの課長であつた植村収二が申請人に対し昭和四五年一二月一五、一六、一七日の三回にわたりアニユアル・レビユーのための呼出しをしたところ申請人はこれに応ぜず、同月二三日になされた四回目の呼出にようやく応じたものの、同課長が作業量の低下を指摘し従前の作業量にまで回復させるよう注意を与えたところ、申請人は無言のまま天井の方向を向いたり横を見たり目をつぶつたりしてこれを黙殺する態度を示し、また同課長は同月特に作業成績が悪い従業員を対象に個人面接をしたが、その際申請人にも右アニユアル・レビユーに先立つ同月二二日に面接して作業量の低下や作業中の私語、居眠り、無断離席等日常の勤務態度の好ましくない点につき改善するよう注意を与えたが、申請人は前同様これを黙殺する態度を示し、さらに前記のとおり植村課長の後を引き継いで課長に就任した杉原幸雄も昭和四六年二月二五日、同年三月三日、同月一五日の三回にわたつて植村課長同様の注意を与えたが、申請人はその都度大声でわめき立てるなどの反抗的な態度を示し、結局右の度重なる注意にもかかわらず注意を受けた点につき何ら改善しなかつたこと、申請人はそのほか、昭和四六年三月二日に行なわれた夕礼において、杉原課長が従業員に対して競争の激しい市場を拡張してゆくためには全員の一致協力が必要であるとの趣旨の話をしたところ、大声で「そんなことは会社の一方的なことだ。少しくらい製品が売れなくても会社がつぶれるものではない。もしつぶれるようならみんなでこんな会社なんかつぶしてしまえばいいんだ。」などとわめき立て、同月一一日に行なわれた夕礼においても、杉原課長が同年四月からの賃金、諸手当等の改訂内容を説明したところ、「われわれの要求はそんな程度のものではない。みんな会社にだまされてはいけない。」などとわめきたて、両日とも全員の就業が二、三〇分遅れたことがあつたことの各事実が認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

四、そして、官公署作成部分の成立に争いなく、弁論の全趣旨によりその余の部分も真正に成立したと認められる疎甲第四号証、弁論の全趣旨によつて真正に成立したと認められる疎乙第三号証、証人野本直樹および同植村収二の各証言ならびに弁論の全趣旨によれば、昭和四六年三月一三日被申請人会社の製造部門内の石川明製造部長、植村課長、田代課長の三名により同年四月以降の同部門の人事についてミーテイングがなされた際、前記三で認定したような申請人の昭和四五年一一月以降の作業量の低下、品質の劣悪、夕礼における発言、日常の勤務態度が採り上げられ、これに関する対策が検討されたが、申請人は、植村課長および杉原課長による度重なる注意にもかかわらず、作業量の増加、品質の向上、日常の勤務態度の改善に努めれば十分にできる能力がありながら、右の注意を黙殺しあるいはこれに反抗して改善する態度が全然みられないから、申請人は向上の見込みなく解雇やむなしとの結論に達し、石川製造部長は同月一五日野本人事部長に対し製造部門内での右の結論を伝え、同人事部長も同日同製造部長、植村課長らの意見を聞いたうえ、製造部内の意向に同調した結果、被申請人は申請人を解雇することに認定したこと、そこで被申請人は同月一七日付内容証明郵便で申請人に対し、「作業能率が際立つて悪く向上の見込みなく、又勤務態度が不良であり、業務命令に従わず上司に対し常に反抗的である」との理由により、就業規則第三二条第三号、第四六条第五号、同第六号、第四七条第三号、同第九号に基づき昭和四六年三月一八日付で申請人を解雇する旨および解雇予告手当は同日から同月二五日までの間に経理部給与課において支払う旨等を通告したこと、被申請人会社の当時の就業規則は昭和四三年(被申請人会社設立の年)一一月一日から施行されてきたものであつて、その第三二条各号、第四六条第五号、第六号、第四七条第三号、第九号には次のような各規定が存することが認められる。

(普通解雇)

第三二条 社員が次の各号の一に該当するときは解雇する。この場合は労働基準法の定めるところによる。

一、精神もしくは身体の障害により勤務に堪えないと認めたとき。

二、やむを得ない事業上の都合によるとき。

三、その他前各号に準ずるやむを得ない事由のあるとき。

(譴責・減給・出勤停止・昇給停止・降格)

第四六条 社員の行為が次の各号の一に該当する場合は情状に応じて、譴責、減給、出勤停止、昇給停止、または降格に処する。この場合、情状に応じて二処分以上併科することがある。

五、職務に怠慢であり、又素行が不良のとき。

六、業務上の指示、命令に従わず会社の秩序をみだし、その情の軽いとき。

(懲戒解雇)

第四七条 社員の行為が次の各号の一に該当するときは懲戒解雇に処する。

三、業務上の指示、命令に従わず、会社の秩序を乱し、その情の重いとき。

九、故意に会社の業務を妨害したとき。

五、ところで、被申請人会社の就業規則である前記疎乙第三号証には従業員の懲戒に関する手続を定めたなんらの規定もなく、またその手続を定めた労働協約や会社の内部規定あるいは労使間の慣行等も一切存在しなかつたことが弁論の全趣旨により明らかであつて、被申請人会社の場合従業員を懲戒解雇するのに普通解雇とは異つたより慎重な手続を要するとは解せられない。このような場合には、懲戒解雇事由により普通解雇されても何ら労働者の不利益とはならないから、使用者は就業規則に定められた普通解雇事由のほか懲戒解雇事由をもつて普通解雇をすることも許されるものと解するのが相当であるところ、前記認定のとおり、被申請人会社の申請人に対する解雇通告書には就業規則の普通解雇に関する規定と懲戒解雇に関する規定とが併記され(なお、譴責、減給、出勤停止、昇給停止、降格に関する規定も掲げられているが、被申請人会社は申請人を解雇したのであるから、右は単なる蛇足と解するよりほかはない)、そして解雇予告手当を支給する旨も記載されているのであるから、被申請人会社は申請人を普通解雇事由および懲戒解雇事由をもつて普通解雇したものと認めることができ、したがつて申請人については就業規則の定めた普通解雇事由又は懲戒解雇事由のいずれかが存するならば、本件解雇は就業規則による解雇の要件を充足するものということができる。

そこで、申請人に対する本件解雇について被申請人会社の就業規則の定める普通解雇事由又は懲戒解雇事由が存するかどうかについて検討を進める。

六、まず、申請人の作業量が昭和四五年一一月以降著しく低下したため、植村収二課長が同年一二月二二日の個人面接および同月二三日のアニユアル・レビユーの際に申請人に対し、作業量の低下を指摘し従前の作業量にまで回復させるようあるいはこれを改善するよう注意を与えたところ、申請人はいずれの場合もこれを黙殺する態度を示し、その後の申請人の作業量も同年一〇月以前に比べればはるかに低く、また、杉原幸雄課長が昭和四六年二月二五日、三月三日、三月一五日の三回にわたつて植村課長と同様の注意を申請人に与えたところ、申請人はその都度大声でわめき立てるなどの反抗的態度を示し、何ら改善しなかつたことは前記三に認定したとおりであるから、申請人は被申請人会社の就業規則の第四七条第三号にいう「業務上の指示に従わず会社の秩序を乱し」たものということができ、また、前記認定のとおり申請人の作業量の低下は著しく、特に昭和四五年一一月から昭和四六年三月まで(ただし三月は一五日まで)の五ケ月間のうち昭和四五年一二月、昭和四六年二月、三月の三ケ月は同一職場であるボンデイングセカンドAラインの従業員のうち最下位の作業量であり、昭和四五年一一月および昭和四六年一月も最下位から三番目であつたのであり、申請人の勤務態度についても、遅刻、作業中の居眠り、雑談、無断離席が多く、注意されても改まらず、その他夕礼の際に「こんな会社なんかつぶしてしまえばいいんだ」等の不穏当な発言をするなどの行動があつたのであるから、申請人は業務上の指示に従わず会社の秩序を乱したことについて、前記就業規則第四七条第三号の「その情重いとき」に該当するものといつて差支えない。

七、ところで、昭和四五年一一月以降申請人の作業量が低下したのは、同月上旬になされたボーナスの発表に対する不満等から多数従業員の意思統一の下に同月一七日から行われたスローダウンに申請人も同調しこれを実行した結果であることは前記認定のとおりであるところ、申請人は右スローダウンは正当な争議行為であると主張するので、この点について考えてみるに、スローダウンはいわゆる消極的サボタージユの一種であつて争議の手段方法としては正当であるが、次のような理由によつて、無通告でこれを行なうときは原則として違法となるものと解するのが相当である。すなわち、労働者に対し争議権が認められるのはこれによつて労働者を使用者と実質上対等の立場に立たせて労働条件の維持改善を図らせるためであることはいうまでもないが、労働者の行なう争議行為に対しては使用者もその対抗手段としてロツクアウトを行なうことが認められると解されているのは、これによつて労使間の力関係が均衡を保つものと解されるからであり、したがつて、労働者が使用者からロツクアウトの対抗を受けるのを回避するような手段方法を選んで争議行為を行なうことは労使間の正義公平に反するといわなければならない。そうであるとすれば、労働者は争議行為を行なうときは予め使用者にこれを通告するなどして争議行為を行なうことを明確にした上正々堂々と行なうべきであり、もつともストライキの場合にあつては、いわゆる指名ストなどの場合を除いては、ストライキが行なわれていることは何人にも明確であることが通常であるから、特に公益上の目的、保安上の目的その他の目的から法律により又は労働協約等労使間の合意によりもしくは条理上予告を要すべき場合を除いては、無通告でストライキを行なつても必らずしも違法であるとはいえないが、スローダウンの如き争議行為にあつては、それが争議行為として行なわれているかどうかは、特にこれを明確にしない限りはその外形からは容易に判定し得ない場合が多く、仮に使用者が争議行為としてスローダウンが行なわれていることを察知し得たとしても、もしもこれに対抗するためにロツクアウトを行なつた場合には、いわゆる先制的ロツクアウトであるとして違法視されるとのおそれを抱き、容易にロツクアウトを行なうことができない場合が多いと考えられるから、労働者がスローダウンを行なうには、特に通告をしなくても、争議行為が行なわれていることを何人も否定し得ない状況の下に行なわれる場合を除いては、原則としてこれを通告することを要し、そうでなければそのスローダウンは違法であると解するのが相当である。

そこで本件についてこれをみると、従業員らが被申請人に争議行為を行なうことを通告したことを認めるに足りるなんらの疎明もないし、被申請人においては争議行為としてスローダウンが行なわれていることを十分察知していたとしても、野本人事部長らが従業員らに対し作業量の低下の原因を問い質しても「やる気が出ない」、「体の調子が悪い」などと答える者ばかりで、スローダウンを実行していることあるいは作為的に作業量を低下させていることを答えた者は皆無であつたことは前記認定のとおりであり、本件スローダウンが争議行為として行なわれていることを何人も否定し得ないような状況の下に行なわれたことを認めるに足りる疎明はないから、本件スローダウンは結局違法であると解すべきである。

したがつて、申請人が業務上の指示に従わず作業量の低下を回復させなかつたことをもつて被申請人が就業規則第四七条第三号に問擬したのは正当であるといわなければならない。

八、そこで更に不当労働行為に関する申請人の主張について判断するに、申請人はまず、被申請人は申請人が正当な争議行為としてのスローダウンを行ない作業量を低下せしめたことを理由に本件解雇を行なつたものであるから、本件解雇は不当労働行為に該当し無効であると主張するが、右スローダウンが違法な争議行為であることは前段に説示したとおりであるから右主張は採用できない。また申請人は、被申請人は申請人が労働組合結成のために活動したことを嫌悪し組合結成を妨害する目的で申請人を解雇したものであるから本件解雇は不当労働行為にあたると主張するのでこの点について検討するに、被申請人会社の従業員間では昭和四四年三月ころ労働組合結成を目的とする五、六名のグループが生まれ、右グループが中心となつて昭和四五年一〇月頃懇談会(TIJ職場懇談会)が結成され、更に昭和四六年二月ころ職場単位で労働組合結成準備委員会ができ、次いで同年三月六日王子労政事務所において約二〇〇名の従業員が出席してTIJ労働組合準備会結成のための集会が行なわれ、同集会において労働組合準備委員会を結成するとともに総評全国金属労働組合に加盟することを決定し、被申請人会社に対する統一要求を決定し、労働組合の規約ならびに執行委員および代議員の人選を確認し、同月二〇日組合結成大会が開催されて全金組合結成に至つた等の経過および、申請人は昭和四四年一二月従業員の懲戒解雇があつた後に労働問題に興味を持つようになり、昭和四五年一二月六日総評全国金属労働組合に個人加盟し、その後職場別の懇談会に加入して勉強会や教宣活動を行ない、昭和四六年二月には職場別の労働組合結成準備委員会に加入し、前記の同年三月六日の集会に参加した等の経過は前記二および三に認定したとおりであるが、被申請人会社が申請人を解雇する当時これらの事実を了知していたことを疎明するに十分な資料はないのみならず、申請人が労働組合の結成に特に重要な役割を演じたり、結成後の組合の役員に予定されていた事実を認めるに足りる疎明もないのであるから、被申請人は申請人が労働組合結成のために活動したことを嫌悪し組合結成を妨害する目的で申請人を解雇したとの申請人の主張もまた到底採用し難い。

九、申請人は更に、本件解雇が事前に明確な注意、訓告等を与えず突如なされたものであり、従前作業量低下を理由に解雇された事例はなく、本件解雇後も昭和四六年六月全金組合の執行委員であつた佐藤征男が勤務成績不良を理由に出勤停止三日の懲戒処分に付されたことがあるにすぎないことを理由に、本件解雇は解雇権を濫用してなされた不当に重い処分であつて無効であると主張する。

しかしながら、申請人の直属の上司であつた植村課長および杉原課長が昭和四五年一二月二二日以降本件解雇が決定されるまでの間に前後四回にわたつて申請人に対し、作業量の低下を指摘し、作業量を増加させ日常の勤務態度を改善するよう注意を与えたことは前記認定のとおりであるから、本件解雇は申請人にとつて全く予想外に唐突に行われたとは言えないのであり、したがつて、被申請人が申請人に対し予め作業成績が回復し勤務態度が改まらなければ解雇することもある旨を告げて警告したり、あるいは早い時期に申請人を解雇以外の懲戒処分に付し、そこでもなお改善されない場合にはじめて解雇するなどの手続をとつていれば更に適切であつたであろうけれども、被申請人がそのような手続をとらなかつたからといつて、本件解雇が解雇権の濫用にあたるとは認められず、また弁論の全趣旨によつて真正に成立したと認められる疎乙第五七号証および証人野本直樹の証言によれば、本件解雇以前に作業量低下を理由に解雇された事例がないことが認められるけれども、前記のとおり申請人の作業量低下は極めて著しかつたばかりでなく、申請人は勤務態度も悪く被申請人は申請人の作業量低下のみをもつて本件解雇をなしたものでないことは前記認定のとおりであるから、単に申請人以外に本件解雇以前にあるいはこれと前後して作業量低下を理由に解雇された従業員がなかつたからといつて本件解雇が解雇権の濫用であるということはできない。

なお、当事者間に成立に争いのない疎甲第二二号証および証人佐藤征男の証言によれば、被申請人は昭和四六年六月二二日、当時全金組合の執行委員であつた佐藤征男に対し、特に同年五月一七日以降四週間の作業量がボンデイングセカンドAラインの従業員全体の平均的作業量が五一個のところ三九個と同ライン中最低であり、担当課長の注意にもかかわらず改善の態度がみられないとの理由で就業規則第四六条第五項、同条第六項を適用して出勤停止三日の懲戒処分をなしたことが認められる。しかしながら証人笹木清一郎の証言によつて真正に成立したと認められる疎乙第五号証、いずれも証人佐藤征男の証言によつて真正に成立したと認められる疎甲第三一ないし第三二号証、証人杉原幸雄の証言によつて真正に成立したと認められる疎乙第五三号証、弁論の全趣旨によつて真正に成立したと認められる疎乙第五四ないし第五七号証ならびに証人佐藤征男、同野本直樹、同杉原幸雄の各証言によれば、被申請人は佐藤につき作業量の低下のみではなく、個人面接の際の同人の態度、日常の勤務態度等も充分考慮したうえで向上の余地ありとして前記処分をなしたこと、佐藤の作業量低下の原因は両アレルギー性結膜炎兼両近視兼眼精疲労および就業時間中の一日三〇分ないし五時間に及ぶ頻繁な組合活動の影響によるものであることが認められること、ならびに申請人の作業量低下の期間と佐藤のそれとを比較すれば、佐藤が作業量低下を理由に僅か出勤停止三日の懲戒処分を受けたにすぎないことをもつて本件解雇が不当に重い処分であるということはできない。

よつて解雇権濫用についての申請人の主張も採用できない。

一〇、以上判断したところに従えば、申請人に対する本件解雇は有効であつて、申請人と被申請人との間の雇用契約関係は昭和四六年三月一八日をもつて終了したというべきであり、したがつて、申請人の本件仮処分申請は被保全権利について疎明がないことに帰着し、また保証を立てさせて疎明にかえることも相当でないから、保全の必要性の点について判断するまでもなく、本件仮処分申請は失当であるからこれを却下し、申請費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 今村三郎 鹿山春男 吉村俊一)

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